■ひと・環境計画 一級建築士事務所
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先週、水俣へ行きました。
翌日の講演をするために、到着後から、市内視察に連れて行っていただきました。 私が是非、知りたかったのが水俣病についてです。 夕方5時近く、市役所の金子さんが、資料館へ電話を入れてくれました。 5時で閉館のところ、特別に閉館しないように頼んでくれたのです。 資料館は穏やかな海の見える丘の上に建っていました。 ![]() 閉館しなければならないというのに、館長さんが出迎えてくれました。 「まず、大まかに知ってもらうには、VTRを見てください」と言われ、暗い一室へ。 15~6分のビデオでしたが、なんと言って良いか、言葉を失いました。 チッソは、知っていて、垂れ流しをしていたのだという事実に、人間の愚かさや、怒りを感じ、 やりきれない気持ちが残りました。 そして、もう少し早く、このブログでお伝えしたかったのですが、 一週間、心の中で、ゆっくり考えました。 水俣病。 私が産まれる前の話。 だけど、今も、苦しんでいる方々がいる。 あまりにも有名な病気だけど、現在、その本質が何であったかを知る人は、減ってきているでしょう。 チッソは、明治の終わりに水俣で創業し、石灰と空気中の窒素から化学肥料を作っていました。 昭和になって、その過程で出てくるものから、ビニールやプラスチック軟化剤の原料であるアセトアルデヒドを作るようになりました。 アセトアルデヒドは、ホルムアルデヒドの兄弟。 その有害性や特性は、ホルムアルデヒドと同じです。 ![]() アセトアルデヒドを作る過程で、硫酸水銀というものを使用し、廃棄物として、メチル水銀が出る、 それを未処理のまま、海に流していたのです。 その水銀が、小さい魚に入り、食物連鎖の中で、どんどん濃縮され、人間の体に入りました。 その水銀は、タンパク質と同じようなものになり、通常ならば、毒物を排除する脳が、タンパク質として、 取り入れ、蓄積して、脳に異常が現れる。 これが発症の原因と簡単なメカニズムです。 昭和20年代後半から、水俣で手足のしびれや目の異常、言語障害、歩行困難など、中枢神経が関わる 運動機能全てに異常が現れだし、町中では、猫が狂い死にをしたり、水俣湾周辺の生物に異常が現れ始めたそうです。 チッソでは、猫で実験をし、自社で垂れ流しているメチル水銀が、原因であると知っていたそうです。 ![]() 「知っていて、垂れ流しをしていた」 なんてことでしょう。 しかし、この裏には色々な、その時代の事情があったようです。 折しも日本が、高度成長期に向けて、工業を発展させなければならなかった時代。 発展の為ならば、多少の犠牲は仕方がない、経済優先の時代。 静かな田舎町に、大きな工場が一つ。水俣は、チッソの企業城下町だったのです。 初めは、水俣で起きた奇病で、風土病ではないか、という説が出て、それで、「水俣病」と 名付けられました。 この奇病の発生から、十数年経った1956年5月1日。 チッソの水俣工場付属病院の院長が、これはおかしいと水俣保健所に届け出たのが 水俣病の公式な発見日となりました。 この告発をした、院長も、悩みに悩んだことでしょう。 色々の葛藤の中で、人の道、医師の道を踏み外さなかったことは、素晴らしい行動だったと思います。 そして、はじめ奇病とされたがだめに、差別され、村八分の様な状態になるので、 家族に水俣病がいるということを言えない家が多かったそうです。 また、企業城下町ゆえに、家族の誰かが、チッソに携わっているので、体調が悪いとも言えず、 また、今の世の中みたいに、情報伝達の方法がなく、 伝わり方が遅いために、水俣湾周辺や八代海周辺、天草などにも 患者さんがいるはずなのに、それが水俣病だということを気づかず、申請していないなど、 本当に複雑な事情で、この被害は、大きくて、思いものとなっていったのです。 ![]() 現在の認定患者2269名。推定3万人いるだろうと言われる、水俣病患者。 認定されている人数が少ないのは、前述の様な理由からだそうです。 資料館の壁に、まつげの長い少女の大きな写真がありました。 しかし、こんなきれいな目をしているのに、彼女は、目が見えません。 ぐにゃっと曲がった手の写真がありました。 メチル水銀による症状です。 国は、高度成長期を担って来たチッソに対して処分が甘く、未だ、保証問題が、全て解決していません。 ![]() 左側の土は、昭和60年に海の底、70センチくらいのところから、採取されたものです。 水銀量が500ppmもあります。 この水銀の堀り出し、水俣湾に埋め立てました。 ![]() 海に漏れ出さないように、シートで多い、そこへ土を埋め込んだそうです。 今、そこは、公園となり、水俣病資料館へ行くには、その公園の中の道を通っていきます。 何も言われなければ、広くて良い公園ですが・・・ 本当に、漏れでないのだろうか?何百年も大丈夫なのか? と疑問を抱かずにはいられません。 資料館のある丘に水俣病メモリアルがあります。 なくなった方たちの鎮魂の場として、そして、二度とこの様なことが起こらないように祈りをこめて作られた場所です。 ![]() ![]() メモリアルから見た風景です。 穏やかでした。 穏やかだからこそ、なぜ?ここに?という疑問が大きくなります。 VTRの中、私が涙を浮かべた詩をここに紹介します。 水俣病資料館の前館長が詠んだものだそうです。 人は ボールを前に投げるために 後ろに いったんふりかぶる 人は、 高く上に飛ぶために 下に一度かがむ 前や上を未来 後ろや下を過去だとすれば 人は 未来のために 過去を振り返る 個々に生きる 希望をつくるために 水俣病資料館は おきたことを明らかにしながら 犠牲を無駄にしない 社会づくりに役立て 未来に生きる希望をつくるためにあるのです。 水俣市立水俣病資料館前館長 この静かで穏やかな、小さな町に起きた大きく重く悲しい出来事。 だから、水俣は、これからに向かって行く。 いつまでも、めそめそしない。 そうです、犠牲になられた方々のためにも、前を向いて努力しなければならないのだと、 深く思いました。 水俣だけの問題でしょうか? 愚かな人間が起こした出来事。 これを日本の歩んできた道だとすれば、二度とこの様なことを起こしてはいけません。 私の専門とする化学物室過敏症も、水俣病と重なるところがあります。 経済優先で、簡単だからといって、使用してきた建材。 それによる健康被害を、認めてもらえず苦しんでいる人がたくさんいます。 もう一度、考えましょう。 経済優先が、本当に安全なのか、 人のためになるのか・・・ どうぞ、このブログを読んだ皆様。 もう一度、考えてください。 自分が、行っている、一つ一つが、人や環境のために、なっているか、 害を及ぼしていないか。 意識をすれば変わります。 閉館後、約1時間半の間、説明をしてくださった館長さんに感謝いたします。 ありがとうございました。 このブログをみた方は、ポチッとしてね。人気blogランキングへ
by ecohime
| 2009-07-30 14:19
| 旅
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