■ひと・環境計画 一級建築士事務所
西東京市田無町4-19-1-202 代表者:濱田ゆかり 042-452-7008 ecos@hitokankyo.com ■ホームページリンク エコロジーライフ花 光設計の呼吸する住まい タニタハウジング 西條インテリアデザイン カテゴリ
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大変なことが起きました。
言葉にもできないほどです。 2011年3月11日午後。 私は、知人の設計事務所の2階にいました。 築35年ぐらいの鉄骨造。 カタカタという音で、地震? その音は次第に大きくなって、私はとっさに階段のところへ行きました。 なぜならば、先代に、地震が来たら階段室へ行きなさいと言われていたので。 長い長い揺れ。振幅の大きい揺れで、立っていることができず・・・柱を持ったまま・・ 大きな揺れがおさまると、こうなっていました。 ![]() 棚の上の書類は落ち、足の踏み場のない状態になりました。 揺れがおさまった後、外へ。 なぜならば、中越地震の時、3回目の地震が一番大きかったので、そのことを思い出したからです。 そして、5時近くまで、そこに居たと思います。 地震の後、直ぐに実家へ電話をしたら、大丈夫。 その次に心配なのは、田無のアパート。荷物をかなり載せているので・・・ しかし、起きたこと、ジタバタしても仕方ないと、のんびり帰ろうと思いました。 西武線は、どんな時でも動くとタカをくくっていました。 中井駅に行くと、前線運転見合わせ。 こ1時間待ってもらちがあかないので、実家へお迎え要請。 これが間違えのもとでした。 1時間待っても来ず。その間、どれだけ多くの人が、歩いて行ったでしょうか。 信号が変わると、波の様に人が押し寄せてきます。 通りは、車が一寸ずり。 そして、やっと電話が通じて、 結局、会える所まで歩くことに・・・ 水戸黄門を心の中で歌いながら、テクテクし始めました。 トイレに行きたくなったら、コンビニへ。 本当にありがたかったです。コンピにの明かりが見えると、ホッとしました。 早稲田通りをテクテクテクテク。 1時間は、楽勝。 2時間たつと、なんとなく、体の弱い部分が痛くなり始め・・・ 左足のふくらはぎ。右足の付け根。 そして、2時間半を過ぎると、スピードが落ちて、背中のリュックが肩にくいこみ。 3時間歩きました。 結局、青梅街道に入り、西東京市に入ったところで、両親の車と合流。 車は、通常、40分の距離を4時間かけて、やってきました。 迎えに出る車や、高速道路で帰ってこれなかった車で道路は大渋滞。 歩いている方が早いのです。 時々焦って電話をかけてくる母に、「いつかは会えるから・・・」と。 西新宿に事務所があった頃、事務所に自転車が1台ありました。 先代が、大きな地震があったら、コレに乗って帰りなさい。僕は歩ける距離だからと言っていて 私のイメージでは、建物が倒壊し、道路が通れない状態というのが大地震だったので、 この人、バカなこと言うなと思っていましたが、先代が言っていたのは、この様なことなんだと 天に向かってゴメンと手を合わせました。 両親と合流した私は、ちょっだけ、アパートへ寄実家へ。 アパートは存在していました。 そして、思い切って扉を開けると、心配していた食器棚は、倒れておらず、 でも、とんでもない状況になっていました。 日曜日に撮った写真です。 台所です。(焼酎の大きいボトルがありますが、山で汲んでくる飲料水用です) ![]() シンク上の棚から、シンクの中に色々なものが落ちていました。 ![]() 書斎です。要するに、ひと・環境計画のコックピット。 机の上にあった、平行定規も落ちました。 ![]() コピー室兼倉庫 ![]() アパートの屋根。瓦が落ちていました。 ![]() そして帰ってびっくりしたのは、窓が開いていたことです。 振動で、クレセントがはずれて、開いたのですね。 北側の部屋の雨戸も少し開いていました。 よほど揺れがひどかったのだと思いました。 この状態がちょっとショックで、土曜日も帰ってこれず、 日曜の午前中に帰り、片付けをしました。 このことから多くを学びました。 1.地図を持っていること 2.電車は全部が止まること。きっと国交省からストップがかかるのだと思います。 3.お迎えは呼んではいけないこと 4.私が歩けるのは、3時間から4時間の間。 5.急いで歩かず、休憩を取りながら歩く 6.本棚や家具は、柱に固定する 7.軽いものは、全て落ちる。 片付けながらわかったことは、落ちる順番。 先に本などが落ちたり、柔らかいものが落ちてその後に、鏡や、瀬戸物が落ちたらしく、 何かがクッションになって、それらは、割れていませんでした。 瓶が入っている、戸棚は一番下でも、中で瓶が暴れて、扉か開くということ。 そして、地震の後、扉をいきなり開けると、中のものが落ちてくるということ。 たとえ冷蔵庫でも、そっとあけなければなりません。 幸せなこともわかりました。 1.家があること 2.家族に会えたこと 3.電車にのれること 4.日常生活ができること 東北の知人、友人の安否が心配でした。 盛岡の友人とは、日曜日の午後、連絡がとれました。 盛岡のお客さんからは、日曜の夜、電話が入りました。 栗原市と仙台の仲間の安否は、長野の仲間が、Facebookで伝えてくれました。 ただ、ただ、今、心配なのは、釜石のお客さんです。 現在の衛生写真で見ると、津波には、家はあっていない様子ですが、 妹のふーチャンが、海から1㎞ぐらいのところで働いています。 巻き込まれたのでないかと本当に心配です。 神様に祈る思いです。 まだまだ揺れています。 明日から、輪番停電だそうです。 省電と停電への協力ぐらいしか、今の私にはできません。 被災地の方々は、もっと辛い思いをされているのですから、 電気がこないぐらい我慢します。 まだ、揺れています。 これを呼んでくださった方も、十分注意してください。 どうか、ご無事で。 このブログをみた方は、ポチッとしてね。人気blogランキングへ
by ecohime
| 2011-03-14 00:34
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