■ひと・環境計画 一級建築士事務所
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少し遅くなりましたが、前回の続きです。(風邪をひいて絶不調でした)
5月14日。 午前中は、工務店さんと打ち合わせ。 現場で工事の概要の説明。 午後、盛岡の友人、塩ちゃんが迎えに来てくれた。 この日、塩ちゃんは、遠野の支援物資収集センターへ物資を運び、 その後、合流。 釜石のお客さんと塩ちゃんは周知の仲。 いよいよ被災地へ。 車で釜石市街地へ向かう。 駅へ向かう道。 心臓の鼓動が早まり、緊張する。 「おにぎり作ってきたから」と途中、ホームセンターの駐車場で、 塩ちゃんがカバンからおにぎりを出してきた。 丸とも三角とも言えない白いおにぎり。 海苔をまいて、漬け物食べて。 白いおにぎりが、なんかとても暖かい。 喉に通ったかどうかもわからない。 やっぱ緊張しているのだと感じた。 あと少し行けば被災地。 釜石駅は、普段通り、でも、人の背ぐらいまでは水に浸かったと聞いた。 道路脇に、色々なものが混ざった砂とも泥というものが集められている。 右側の新日鉄の工場の敷地に、住宅のものと思われる木の残骸が高く積まれている。 集積場になっているらしい。 駅前の信号はついていなかったが、その先の大渡橋の信号はついていた。 この橋から海側が大きな被害にあったと聞いている。 橋を渡りながら、川を覗く。きれいに片付けられている。 2月に泊まった川沿いのホテルが見える。ここも浸かったそうだ。 橋を渡りきると、ここから釜石の商店街がはじまる。 遠目でみると、今までと変わらない。確かに商店街が存在している。 歩道に泥や残骸が積まれ、全部流されていることはないが、 店のシャッターは無惨に曲がり、中身は何もない。 店の裏あたりに建ってる建物も、かなりの被害なのか、 すでに壊されたのか無くなっているところもある。 塩ちゃんの話によると、初めのころは、残骸で車一台通れるか、 通れないかの道になっていたそうだ。 津波は道路だからといってよけてくれない。 直後は、家や流されてきたもので、全てが覆い尽くされていたのだと・・・ 2月に行ったスーパーも酒屋もコンビニも・・・みんな被害を受けていた。 人々が片付けをしていた。 やっぱり元気がない。 「呑兵衛横町もだめになっただろうなー」と思った。 車を止めて、写真など撮る気にもなれない。 何か失礼な気がして、申し訳なくて、どう考えてよいのかわからなくて。 ただ形あるものが、破壊された時の心の痛さ。 まったくなければあきらめもつくだろう。 しかし、まだ形がある。ここに確かに「在った」という理解ができる。 無くなってしまった苦しさもあるが、在るのに何もならない辛さもある。 どのように語ればよいのかわからない。 車は、釜石からさらに北へ。 道は少し山に登る。リアス式の小さい半島の根元を真っ直ぐと進んでいく。 両石、鵜住居。多くの犠牲者が出た。 街へ入る度に、手を合わせた。 道路の両側は、残骸の山。 でも思ったより、片付いている。 野焼きもしていない。 もっと多くの人たちが片付けをしているのかと思っていたが、 一段落しているのであろうか。わりと人気がない。 家の大きな残骸は、すでに片付けられ、鉄骨と車などの残骸が残っている。 分別がされているというのがよくわかる。 「野焼き」されていないのが有り難い。 半島の付け根の山から下りながら街を見下ろすと、残骸残骸。 そして、その付け根の山の部分の木々が、ある一線から下が枯れている。 ここまで水が来たというライン。 その高さに驚くしかない。 あんなに高く、あんなに奥まで、水が来た。 海から押し寄せた津波が、複雑な地形のため、その流れをゆがめられ、 狭いところに勢いよく入っていく。そんなことがあったのだろうと、想像ができる。 あの高さまで水がきたら、助からないのは・・・・と 大槌に入り、道を外れて被災地まで入った。 ![]() 家の守り神であったろう、この置物も、力が及ばなかったのか・・・ 見渡すかぎり、泥をかぶった残骸が続く。 足下を見ると、明らかに生活をしていたという証のものがたくさん泥に固められている。 車を降りて、手を合わせた。 そして足下を見た。 1円があった。泥に固められて、ちょっと目には1円とわからない。 拾い上げてみた。 ![]() そうか。 何もかもが流れたのかと改めて感じる。 ![]() この写真の向こうに見える丘に鉄道が走っていたようだ。 道の真ん中にある橋脚(RC造)は、根元から海側に折れていた。 「引き」の時に持っていかれたのか・・・ その先を目で追うと、同じように橋脚が倒れていた。 こんなに太くて、鉄道を支えていたものまでが、無惨な姿に。 中学生ぐらいの女の子が一人で歩いていた。 おじいさんが、向こうから歩いてくる。 人目をしのんで、カメラのシャッターをきる。 このようなところにも、人がいると当たり前のことに「ハッ」とした。 なぜならば、あまりにも日常とはかけはなれて、私の頭では理解できない。 強いて言うならば、SF映画の中にいるような錯覚。 「想像を絶する」という言葉にもあてはまらない。 「言葉を失う」という言葉にもあてはまらない。 言い表せないというのが現実なのだろうと思う。 ここで多くの人が亡くなり、 多くの人が家を失い。 多くのかけがえのないものが無くなった。 やっぱり、私には、その悲しみを、その辛さを想像することができない。 ただ、ただ、記憶にとどめておこうと。 そして、自分の無力さを改めて感じぜざるをえなかった。 つづく 次回は「大槌から山田、宮古、田老へ」 このブログをみた方は、ポチッとしてね。人気blogランキングへ
by ecohime
| 2011-05-28 16:23
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