■ひと・環境計画 一級建築士事務所
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今日で、震災から3ヶ月を迎えました。
まだまだ、避難されている方、ライフラインがとおらず、不自由をされている方。 そして、原発のために、避難を強いられている方。 3ヶ月経っても生活が安定せず、お腹立ち、焦燥、色々な思いをされていると思います。 何もできない自分に歯がゆさと無力感を感じながら・・・ 被災地のレポート、最終回としたいと思います。 山田で蔵が残っていることに、元気が出た私。 そして、塩ちゃんが届け物をするという八幡神社へ。 神社は、市役所の隣、高台にある。 石段を登っていくと、鯉のぼりたちが迎えてくれた。 この風景、きっといつもと変わらないのだろうと思う。 大槌で拾った、土まみれの1円玉。生き残った1円。 大槌の方々の分まで、祈るために、賽銭箱へ。 お参りを終わってふりかえると、鳥居ごしにこの様な風景が見えた。 ただならぬ風景。 この鳥居は、ずっとここの下で生活する人々を見ていたのだろう。 何十年も・・・何百年もかもしれません。 でも、今は、人はいない。 ただ、壊れてしまった、生活の証しが残っているだけ。 神様もみ守れなかったのかと、むなしい思いがした。 届けものをして、宮古へ向けて走る。 相変わらず、気持ちの良い、緑のトンネル。 今回の目的の一つ。 宮古の化学物質過敏症の人を訪ねること。 アポは取っていない。 一度来たことがあるという塩ちゃんだが、曲がるところがわからない。 「確か、看板があったんだ」と言う。 宮古の街の交差点。ここが中心部なのであろう。 そこまで行って引き返す。。 途中、電車を見た。 水の大きな力は、電車までも、動かしていた。 ガソリンスタンドで場所を聞いて、訪ねる先に着く。 動物病院の奥さんが化学物質過敏症だということ。 病院の外で、お友達と話しをしていた。 突然の訪問で失礼かと思ったのだが、話が聞きたかった。 困っていることがあったら、相談にのろうと思った。 アポなしで行ったにもかかわらず、 話をしていたお友達も化学物質過敏症だということ。 塩ちゃんと私は驚いた。偶然とはあるものだ。 私の不思議は、こんなに空気がいいところなのに、どうして?ということ。 話を聞くと、原因は農薬だそうだ。 周囲にまかれる農薬。 でも、二人は明るかった。化学物質過敏症もものともせずに、受け入れて、 こちらは、ちょっと拍子抜け。 これなら大丈夫。きっと楽しく元気で生きていけると安心。 なにか嬉しかった。 そして彼女たちの心配事。 「仮設住宅には、ベニヤがたくさん使われている。あのベニヤで化学物質過敏症にならないのか」 私もテレビで見る度に気になっていたこと。。。 でも仕方がない。 あったはずの病院の看板は、風で飛ばされたということで、納得。 二人に元気をもらった後、盛岡へ。 先ほどの宮古の交差点に来た時、田老まで行こうと塩ちゃんが言った。 盛岡方面に曲がりかけていた車をUターンをして田老へ。 「命を守る壁」をも津波が乗り越え、多くの人が亡くなっり被災した地区。 田老にはいると国道沿いに1軒のガソリンスタンドがあった。 壁がなく、向こうの景色が見える。 鉄骨だけのガソリンスタンド。元気で頑張っている。 この光景を見た時、人のたくましさを知った。 そして感動にも似た感覚が、私の体を満たしてくれた。 本当にすごい。 田老の中心。 防波堤が巡らされていて、向こうの景色は見えない。 数人の人が、防波堤にのぼって、景色を見ていた。 私はとても見ることができなかった。 倉庫の上に乗っかった家の2階部分。 交通整理をしている自衛隊の方々。 場面、場面で思い出すことはできるけれど、 いったいそれは、どこだったのか・・ということが思い出せない。 なぜならば、目印となる建物や、風景がなくなってしまっているから・・・ 道もなくなっていて、地図を見てもわからない。 もし、砂漠へ行ったならば、1時間走っても同じ光景が続き、それがどこなのかわからないはず。 それと同じことが、ここで起きていた。 建物が、木が、人がいるという風景がないと、記憶に残りづらいということもわかった。 盛岡へ戻るために、再び宮古へ。 交差点から、盛岡への道に入る。 少し坂を上るかたちになっていく。 道路の両側に商店が建ち並ぶが、被災している。 進んでいくと、それらの店のガラスに筋がついていることに気がつき、 さらに進むと、その線が、低くなって行く。 そしてあるところまで来た時。 多くの人たちが普通に生活していた・・・ その線は、津波の来た線。 地獄と天国の境。 スーパーで多くの人が買い物をしているのを見た時、 今まで見てきたことは、夢だったのではないかと思った。 それまでも、車の中から地獄と天国の境はどこであったのかと、目で追ってきた。 家は流されていないが、あきらかに水が入っているところ。 それが2階だったのか、1階だったのか・・そうやって境を見てきた。 しかし、この宮古の風景は、別であった。忘れられない光景の一つ。 本当の天国と地獄の境を見た気がした。 いったい何がおきたのか・・・ どうしたらいいのか・・・ 私の役目は、何だろう・・・ 帰りの新幹線の中で、ずうっと考えていた。 答えがでない。 ただ、思ったのは、決して忘れないこと。 忘れてはいけないこと。 長い時間かかるかもしれない、でも、その間、復興を願うこと。 今日で3ヶ月。 こうやって、時間が過ぎていくけれど、 忘れない。 私ができる小さなことだと思う。 3回に分けて東北レポートを掲載しました。 皆様の心に届いたでしょうか? 皆様も、決して忘れないでいてください。 多くの人が被災して、亡くなられて、町も無くなってしまったこと。 忘れないようにしましょう。 ちょっと時間は遅くなりましたが。 黙祷。 このブログをみた方は、ポチッとしてね。人気blogランキングへ
by ecohime
| 2011-06-11 18:06
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