■ひと・環境計画 一級建築士事務所
西東京市田無町4-19-1-202 代表者:濱田ゆかり 042-452-7008 ecos@hitokankyo.com ■ホームページリンク エコロジーライフ花 光設計の呼吸する住まい タニタハウジング 西條インテリアデザイン カテゴリ
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![]() 濱田 ゆかり(はまだ ゆかり) ・ひと・環境計画 代表・一級建築士。シックハウスコンサルタント。エコ建材研究家。 ・武蔵野美術大学卒業後、建材メーカーにて商品企画開発業務に従事。 1995年、「ひと・環境計画 」設立より勤務。 現在、人と環境に負荷をかけない建材とエコロジカルなシステムの研究をお こないながら、シックハウスの改修リフォーム、健康リフォームのコンサルタント。バウビオロギー住宅の企画、設計を行っている。 企業、学校などのシックハウス、シックスクール対策などのコンサルタント業務に従事。ドイツ当西欧のエコ建築見学ツアーの企画、エコ建材の展示会なども企画している。 自ら化学物質過敏症。 ・日本バウビオロギー研究会 理事 ・NPO法人 矢部川流域プロジェクト 名誉理事 ・NPO法人 日本の森バイオマスネットワーク 理事 ・つなが~るズ 著書 「ナチュラルハウスをつくろう」(1998 白馬社)共著 「健康な住まいづくりハンドブック」(2001 建築資料研究社)共著 「日本で実践するバウビオロギー」(2006.5 学芸出版社)共著 「建築材料事典」(2007.7 産業調査会)共著 「環境建築ガイドブック」(2007.11建築ジャーナル)編者・共著 「建築技術『健康』でつくる省エネ住宅」(2011.1建築技術)執筆。 「安心・安全な内装材料・設備ガイド」(2011.5 工文社)執筆。 その他「塗装読本」エクスナレツジ 、など専門誌など多数執筆 「くさる家に住む。」(2013.2 六耀社)共著。 ▲
by ecohime
| 2012-02-17 20:31
| プロフィール
Happy Moving
![]() 移転しました。 15年。 過ごし慣れた西新宿から移転しました。 色々な理由が一度に重なって、何が一番良いかと考えての移転です。 古いビルでしたが、多くの皆様に愛され、多くの方々が訪ねてくれました。 先代、高橋との思い出も、訪ねてくれた人達との語らいも、 一杯詰まった場所でした。 今まで、その思い出を支えにやってまいりましたが、高橋が亡くなって6年。 6年たてば、小学生だって卒業です。 移転をして、新たに出発しようと思います。 「Happy moving」。 “moving”としたのは、movedとしてしまうと、そこで終わってしまうような。 “moving”という言葉に、これからも動き続けるという気持ちを込めました。 この度の引っ越しで「ものを持つ」ということは、どのようなことかを考えました。 あの事務所の中のものを、ほとんど捨てました。 あの事務所の中に、本当に必要なものは、どのくらいあったのか。 一つ一つにお礼を言って涙を流して捨てたものもあります。 しかし、不要なものもたくさんありました。 「ものを持つ」ということ。必要なものを見抜くこと。 これがエコロジーの原点の一つではないかと感じました。 スリムになり新しい場所で続けます。 これからもよろしくお願いいたします。 という様な事情で、ブログを休んでしまいました。 引っ越しの次の日から、エコメッセ。 その後も、短期決戦の仕事があり、ここ一週間、 やっと、片付けに本腰を入れられるようになりました。 それでも、まだ、段ボールの山の中。 今年中に片付くかどうか・・・ 多くの方から、励ましのメール、電話をいただきました。 引っ越しまでに、1ヶ月間、荷物の準備をしました。 そのほとんどが廃棄物の分別作業。 事務所の垢を落とすための作業でした。 土曜日や、仕事の帰りに、手伝いを志願してくれた友人たちに、 改めてお礼を言いたいと思います。 高校の同級生の京子ちゃん。 以前勤めていた会社の同期、健ちゃん。 建築家協会の北澤くん。 仲良し事務所の若手、拓ちゃんと原坊。 そして、仕事帰りにも、土曜日にも手伝いに来てくれたコロちゃん。 本当にありがとうございました。 ヒトは一人では何もできないと感じました。 志願をしてくれた、友人達のおかげで、無事引っ越せました。 どのように感謝して良いのかわかりません。 さて、新しい事務所は、まだ快適ではありません。 準備期間中は、こーして、あーしてと理想を掲げましたが、 今は、段ボールの山の中。 引っ越し前の理想が、埋もれない様に、片付けがんばります。 このブログをみた方は、ポチッとしてね。人気blogランキングへ ▲
by ecohime
| 2009-12-17 18:00
| プロフィール
宿命と天職
![]() 「どうしてこの仕事を始めたの」と 時々、聞かれます。 「どうやって就職したの」と 時々、聞かれます。 長い話し。 でも、簡単に言えば、宿命。 たまたま、知り合ったオジサンに、「休眠会社を起こすから手伝わない」と言われて、「うん。いいよっ」と返事した。何をするのかわからずに返事をしたのも、このオジサン、信頼できるかもと思えたから。信頼関係の上に建てた仕事。 今年こそは、一生できる仕事を決めなければと思った年の秋の出来事。 このオジサンに会ったとき、「この人と仕事をするかも」と直感で思ったというのも、返事の理由。 これが出会いと、始まり。 もともとナチュラリストだった私は、環境の仕事に馴染むのは、長い時は掛からなかった。 幼稚園の時、左官屋になりたくて、小学校の時、タイル屋に憧れた。 中学生の時、建築に興味があって、高校の時、看板屋になりたかった。 進路を決定する時に、数学が苦手だったので、建築課は、はなからリストにはあがらず、音楽の先生の道を選んだはずだった。でも気付いたら美大生。 就職は、「開発説明会」というのに興味が湧き、参加したら、午後から入社試験。そんなはずじゃなかったのに。この会社って何してる会社?こんないい加減な気持ちで、受けてしまい、合格。 それまで受けても落ちるばかりの就職試験。まぁ入れてくれるのだから・・・・ 仕事は、おもしろかった。建材の開発業務。そこそこ大きい会社だったけど、歯車にならずに、人と少し変わった仕事内容で、出張も多く、旅好きの私にはもってこいだった。 でも、疲れた。いつも眠たかった。高校の通学時間15分。大学の通学時間7分。就職したら、いきなり1時間半。だから疲れる。と思っていた。 なんか、しんどくて、とりあえず、一息つきたくて、がんばったけど、退社。 それでも、半年たったら、嘱託で、また、通っていた。 ふらふらしている時に、そのオジサンに出会った。 そして、子供のころからの私の思いが、今の仕事に結びついた。 今の仕事を始めて、化学物質過敏症という症状に出会う。 1年くらい経った時、患者さんに出会い、話しをしていると、私の体調とそっくり。つてをたどって 北里大学病院で直ぐに検査をしてもらった。黒だった。 「化学物質過敏症」。 だから、疲れて、眠たかったのだ。 私も化学物質過敏症。心の中で「やったー」と思った。 「仕事につかえる」。 きっと、化学物質過敏症と言われて嬉しく思ったのは、私だけだろうと思う。 原因は、わからない。 子供のころからも日曜日、家にいると胃の調子が悪かった。 大学時代、教授に「よく寝るナー」とほめられた。 社会人になって、這うように会社へ行き、昼休みは机に伏せて寝ていた。 光が眩しかった。記憶が所々なくなることも。バリウムを何回か飲んだ。食道が痛かった。鬱になって、ひどくなったらしんりょう心療内科へ行けと言われた。いつも体がだるく、ひどい肩凝り。 すべて化学物質過敏症が原因だったのだ。 自分が化学物質過敏症だから、患者さんの気持ちがわかる。 だから、私がやらなければならないと思う。 化学物質過敏症だけではなく、人が健康であるための方法を考えることが私の仕事。 地球環境を建築から考える。建築と人の体との関係を考える。バウビオロギーという学問。 自分が敏感であるからこそ。生きているのが大変だからこそ。多くの人に広めたい。 人間の体にいかに建築が影響するか。 いかに環境が影響するか。 軽く考えてはいけない。 だから、私は、この仕事をする。私の天職。 ▲
by ecohime
| 2007-02-06 20:12
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会社創立-ひと・環境計画の誕生
![]() ひと・環境計画は、来月で設立12年を迎えます。 1995年。この年は、日本にとって大きな出来事が2つありました。 1月17日に関西の震災。3月20日に地下鉄サリン事件。その間の2月12日に、今の西新宿の事務所に引っ越し。この日を会社の創立の日としました。日曜日。東京国際マラソンの日。以前の事務所の前を、選手達が走るので、レースで引っ越しが中断されたので、良く覚えています。 そして、その年の6月に、「エコロジー建築」が出版され、私たちの活動が始まりました。 12年前は、エコ建築の情報も少なく、エコ建材の情報もなく、何かしなければという気持ちがあるだけ。そして、「環境と人の健康を気遣った建築を考える」という情報を多くの人に伝えるため、情報発信をする「エコスの会」をつくりました。あのころは、「シックハウス」という言葉もなく、「建材で具合が悪くなるなんてバカげている」と言われることが多く、友人にも仕事の内容が言えず、「設計事務所で働いてる」としか言えませんでした。私自身も知識が薄く、この「エコロジー建築」を頼りに、色々なところへ問い合わせ資料を集めながら、勉強をしていたころです。 それで思い出しましたが、あのころは、電話と書籍を駆使して、情報を集めるしかなかったんですよね。今では、だいたいのことがインターネットで、調べられるようになり、ずいぶん便利になりました。これも12年間の大きな変化の一つの事柄だと思います。 ひと・環境計画にとって、本当に大きな事件は、設立から代表を務めており、この「エコロジー建築」を翻訳した高橋元が他界したことです。2004年1月1日。約2年の闘病の後、亡くなりました。もし、彼が、この書籍の元となったドイツの「エコテストマガジン」に出会わなければ、日本における、健康住宅の発展や、エコ建材の発展が遅れたことだと思っております。ドイツの書店で、なにげに手に取った本が、この本の原著だったとか。これは、何かにこの役目を授かったとしか言えない出会いだったと思います。 そんなこんなで、12年。今では、多くの人がシックハウスや化学物質過敏症のことを知り、環境配慮要素が取り入れられた建築が多く建てられるようになりました。 そして、もっと多くの人の関心が、建築における環境への配慮と、人の健康への配慮に向いてくれるよう、願ってやみまません。 ちょっと、初めから重かったでしょうか。でも、初めだけはね。しっかりしないと・・・ ▲
by ecohime
| 2007-01-27 11:46
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